箱根駅伝 PR

箱根駅伝はなぜ人気?いつから始まったのか作った人は誰なのか紹介!

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

今回は『箱根駅伝はなぜ人気?いつから始まったのか作った人は誰なのか』についてご紹介します。

箱根駅伝は2024年1月2日と3日に、100回目の記念大会として通常より3校多い23校が参加して開催されました。

戦争による中断をはさんで100年以上の歴史ある大会です!

今回は日本人に愛され続けている箱根駅伝について、

・人気の理由はなにか?

・いつから始まったのか?

・作った人は誰なのか?

をまとめました。

箱根駅伝は今から104年前の1920年、マラソンの父と呼ばれる金栗四三氏の「世界に通用するランナーを育成したい」という強い思いから生まれた大会です。

そして、100年以上人気の大会であり続けていることには理由があります!

インターネットの普及でテレビを見る人が減って、視聴率15%を超えれば高視聴率番組とよばれる現在、箱根駅伝のテレビ中継の世帯平均視聴率は、往路26.1%、復路28.3%(24年/ビデオリサーチ調べ、関東地区)と驚異的な数字です。

毎年なんとなく箱根駅伝に心惹かれてテレビ中継をみてしまうという方は、ぜひ読んでいってくださいね。

 

箱根駅伝はなぜ人気?

 

箱根駅伝はなぜ人気なのか、その理由は6つあります。

1.開催日がお正月

2.選手が大学生限定

3.個人プレーとチームプレーの融合

4.都会から山までの景色の移り変わり

5.他に類を見ない道程の長さと過酷さ

6.ルールによる2つの注目ポイント

といったものが考えられます。

では、一つずつ見ていきましょう!

1.開催日がお正月

箱根駅伝は毎年、1月2日に往路、3日に復路が行われます。

開催日が非常に覚えやすいんですね!

またお正月の3が日は仕事が休みの人が多く、家でテレビを見る人が増えます。

他局ではお正月用のバラエティ特番や長時間のドラマをやっていることが多く、途中からでは内容がわかりにくいことがあります。

その点、箱根駅伝は家族全員でのんびり見ることができて良いですね♪

 

2.選手が大学生限定

箱根駅伝には大学生しか出られません。

そこには4年というタイムリミットがあり、競技と勉学の両立という困難さと若さがあります。

限られた時間の中で競技に挑むことで、選手たちが一層輝いて見えるんですよね。

 

3.個人プレーとチームプレーの融合

駅伝は個人プレーとチームプレーが融合した珍しい競技です。

どの区間でも走っている間は一人一人の選手が主役!

そしてもし途中で走り切れずリタイアする選手がいれば、チーム全員が失格になってしまいます。

一人だけすごい選手がいても勝てないのが駅伝!

全員の力を合わせることで勝利をめざす、という駅伝のルールが日本人の好みにピッタリなんです。

 

4.都会から山までの景色の移り変わり

箱根駅伝のスタート地点は、東京大手町にある読売新聞社前。

都会のど真ん中から、神奈川県箱根町・芦ノ湖の自然豊かな山の中までの変化に富んだコースになっています。

テレビ中継を見ながら、選手の背後に映る景色を眺めて楽しむことができます♪

 

5.他に類をみない道程の長さと過酷さ

箱根駅伝で走る距離は全部で217.1㎞。これを10人で走ります。

全区間が20kmを超える大会はほかにありません。

また箱根の山を登ったり下ったりするので気温の差も大きく、1つの区間を走る間の体調管理もとても難しいんです。

難易度の高さがアクシデントを起こしやすくし、ドラマチックな展開を生み出します。

 

6.ルールによる2つの注目ポイント

箱根駅伝にはトップ争いだけでなく、後続の戦いにも目が離せないルールが2つあります。

一つ目は繰り上げスタート。

交通規制などへの配慮から定められているルールです。

前の走者が到着する前に次の走者が出発することになります。

タスキをつなげるかどうか、観客である私たちも一緒にはらはらしますね!

 

二つ目はシード権争い。

総合10位までに入ると、翌年の箱根駅伝の切符が手に入ります。

11位以降は予選会を勝ち抜かねばならないので、10位に入れるかどうかというところにも一つのドラマがあります。

テレビ中継の体制が充実していて、先頭だけでなく後続の選手たちの戦いも追っていけるのが箱根駅伝の魅力の一つです♪

 

箱根駅伝はいつから始まった?

箱根駅伝が始まったのは今から104年前の1920年の2月14日。

参加したのが4校だけだったので、「四大校駅伝競争」という名前で第1回東京箱根間往復駅伝が行われました。

14日は土曜日で午前中は授業があったため、午後1時にスタート!

途中の木曽川や天竜川にはまだ橋がかかっていなかったので渡し舟を使いました。

5区の箱根につくころには日が暮れて真っ暗・・!

地元の人が沿道に沿って松明で道を照らし、ゴールは花火で合図したとか

そんなたいへんな思いをしても大会を断念しなかった学生や関係者の情熱、すごいですよね!

 

箱根駅伝を作った人は誰?

箱根駅伝を作った人は、大河ドラマ「いだてん」のモデルにもなった金栗四三氏です。

じつは競技としての駅伝が初めて行われたのは、第一回箱根駅伝の3年前の1917年。

関東と関西のチームに分かれて京都三条大橋から上野不忍池間約516キロを23区間をタスキリレー!

3日間、昼夜を問わず走り継ぐという壮大なレースでした。

この大会の成功から刺激を受けた金栗氏はさらにスケールの大きい方法で選手を育成しようと考え、「アメリカ大陸横断駅伝大会」を計画。

箱根駅伝はその予選会という位置づけだったのです。

アメリカ大陸横断駅伝は実現しませんでしたが、箱根駅伝は今も多くの人に愛され続けています。

選手にとっても大会を支える関係者にとっても非常に過酷であるにもかかわらず続いているのは、やはり日本人が大好きな要素がぎっしりつまっているからなんでしょうね!

 

まとめ

あらためて箱根駅伝が100年以上続いているのには日本人の心に響く強い魅力があるからなのですね。

過酷なレースに挑む選手たちはもちろん、それを支える多くの関係者たちの存在とその情熱に心をうたれます!

2024年の第100回大会では、原晋監督率いる青山学院大学が2年ぶり7度目の総合優勝を果たしました。

来年の大会ではどんなドラマが生まれるのか、お正月が楽しみですね♪

ABOUT ME
run
ご覧いただきありがとうございます。 このサイトはイベント情報を中心に発信しております。